1月
27
2017

1865年3月17日の朝、浦上の十数人の村民はパリ外国宣教会によって建立されたばかりの大浦天主堂に赴いた。彼らは天主堂にて「ここにおります私たちは、皆あなたさまと同じ心でございます」とベルナール=タデ・プチジャンという神父に告げた。「心」は信仰という意味である。実はそれらの村民は「キリシタン時代」(16~17世紀)のカトリック信徒の子孫であった。学問上、隠れキリシタンあるいは潜伏キリシタンと呼ばれている。
潜伏キリシタンの発見以来、禁教政策の続く中にもかかわらず、九州の数千人もの農民と漁師はフランス人宣教師と連絡を取り、徐々にカトリック教会への所属を表明しはじめた。19世紀半ば以来日本が直面していた変動に比較すると、それらの村民の動きはそれほど重要な事件ではないように思われるかもしれない。しかし、当該日本社会のナショナリズムの高まりと西欧列強国の圧力という背景では、カトリック教理の普及に対する反響は熱烈であった。フランス人の宣教師にとってカトリック信仰を選んだ日本人は普遍的教会の所属者であったのに対し、幕府とその後明治政府は自国を裏切った危険な日本人と見なしていた。
実際、それらの村民がカトリック信仰を表明した理由は何であろうか。
博士論文にて第33回渋沢・クローデル賞を受賞したマルタン・ノゲラ=ラモス氏はパリ・ローマ・東京・九州にある史料館にて研究調査を行い、日本近世近代移行期の潜伏キリシタン・カトリック信徒の実像を探る。本発表では、それらの九州の村落の信仰・伝統・宗教的社会的組織を紹介し、19世紀の潜伏キリシタン・カトリック信徒の特異性及び村民としての普遍性を明らかにする。 

【主催】(公財)日仏会館、日仏会館フランス事務所
【後援】(公財)渋沢栄一記念財団、読売新聞社

* 日仏会館フランス国立日本研究所主催の催しは特に記載のない限り、一般公開・入場無料ですが、参加にはホームページからの申込みが必須となります。