ルソーにおける《すべてを語ること》の問題
[講演会] ヤニック・セイテ (パリ第7大学)
18:00 601会議室 フランス語
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要旨:
哲学的様式という観点から啓蒙思想を検討してみると、ジャンルにかかわらず18世紀の作家によって頻繁に強調されるモチーフに遭遇する。それはすべてを語ることへの拒否である。これは美的であると同時に倫理的な本質が必然的に生じさせるもので、形を変えて際限なく現れる。たとえばヴォルテールは『哲学辞典』の序文にこう書いている:「もっとも有用な書物とは、読者自身がその半分を作り出すような書物である」。ジャン=ジャック・ルソーも当初はその例外ではなく、『新エロイーズ』には「読者が何かをする余地を残さなければいけない」と書いている。しかしながら『告白』において《すべてを語らないこと》という信条は急に保留されることとなる。第4巻の最後の文章がそれをよく示している:「この試みにおいて私が心配することはただひとつ、語りすぎることでも嘘を述べることでもなく、すべてを語らずに真実を隠すことである」。本講演ではモンテスキューからサド侯爵に至る啓蒙の詩学の文脈において、《すべてを語ること》とルソーの関係を検討したい。
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講師プロフィール:
高等師範学校(Fontenay/Saint-Cloud)を卒業し、現在パリ第7大学准教授。専門は啓蒙思想と文学。『新エロイーズ』をテーマにした博士論文を上梓し、ガルニエ社古典叢書から出版予定のジャン=ジャック・ルソー全集の編集委員を務めている。文学研究のほかにも、しばしばそれと呼応するかたちで、文化史および人類学史的観点から見た音楽に関する研究書も数多く発表している。なかでも Le Jazz, à la lettre (Presses Universitaires de France, 2010) がミューズ賞を獲得したばかりである。論文 « Rousseau : penser et faire penser » の日本語訳「ルソー:思考すること、させること」が『思想』2009年第11号(No.1027)に掲載されている。
- 協力:中央大学