ルソー・共和国・憲法:ルネ・カピタンの知的遺産
[討論会]
18:00 - 20:00 1階ホール フランス語
【登壇者】
樋口陽一(日本学士院)
オリヴィエ・ボー(パンテオン・アッサス パリ第2大学)
【司会】
三浦信孝(〈公財〉日仏会館、中央大学)
【趣旨】
1924年に設立された日仏会館の歴代フランス学長のうち、学界の最高権威とされるコレージュ・ド・フランスの教授だったのは、初代のインド学者シルヴァン・レヴィ(在任1926-1928)と日本学のベルナール・フランク(在任1972-1974)の二人だが、学者でありながら政治家として活躍し二度も大臣をつとめたのは憲法学のルネ・カピタンだけである。カピタンは学長在任中(1957-1960)に日仏法学会をはじめ五指に余る専門別日仏学会の設立を支援し、日仏学術交流の礎を築いた。
第二次大戦中レジスタンスに参加したルネ・カピタン(1901-1970)は、1944年パリ解放後ドゴールを首班とする臨時政府で文部大臣、1968年5月革命から翌年のドゴール引退まで司法大臣をつとめた「左のゴーリスト」。アルジェリア戦争中の1957年に日本にいわば「亡命」したのは、アルジェリア人の教え子の弁護士がフランスの官憲に殺されたことに抗議してパリ大学での講義を中止したのがきっかけと言われる。
ルネ・カピタンは、1960年から2年間パリ大学に留学した若き憲法学徒・樋口陽一(1934-)の学問・思想上の師であり、現代フランスの代表的憲法学者のひとりオリヴィエ・ボー(1958-)は、直接カピタンの謦咳に接した世代ではないが、カピタンの憲法思想を掘り起こすため、戦前の論文を集めて Ecrits d’entre-deux-guerres (1928-1940) と Face au nazisme. Ecrits 1933-1938 の二書を2004年に刊行している。
司会の三浦信孝はルソー生誕300周年の2012年、フランス国民議会でのシンポジウム「ルソーと大革命」でオリヴィエ・ボーの講演「ルソーと憲法思想」を聴き、カピタン、樋口、ボーに共通する思想軸はルソーの国法(droit politique)理論ではないかと考えるにいたった。
(すべて敬称略)
【主催】 (公財)日仏会館、日仏会館フランス事務所
【後援】 日仏法学会