イデオグラムとユートピア:ライプニッツによる普遍的表記法

アンヌ=マリー・クリスタン(パリ第7大学教授、文字研究センター長)

シンポジウム「文字文化の再創造」,2001年4月8日,日仏会館ホールにて

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[更新:2001-03-30]


発表要旨

 西欧の表記法は、日本のそれと同様に先行の表記法から生まれたものである。すなわち、西欧の表記法も「2次的な」表記法なのである。しかし西洋の表記法と日本のそれとは、2つの大きな違いによって互いに隔てられている。第1はそれぞれの表記法の性格である。西欧のアルファベットは母音と子音という、2元的な言語分析に基づいて形成されている。そこでは文字の歴史上初めてのことであるが、文字を記録する媒体のみならず、媒体が持つ視覚的な側面も考慮の対象になっていない。第2は、「再発明」をギリシャに負うこの表記法は、ローマ方式のアルファベット解釈を通して、近代ヨーロッパに到達することができたのである。その後になって、あらゆる表記は必ず「言葉の表象」として規定されるべきで、しかも、あらゆる表記記号は、アルファベット文字に倣って、固定的かつ明瞭な言語単位として規定されるべきだという考え方が、西欧文化の中に浸透していった。したがって、表意文字とその派生形態が持つ曖昧性と微妙さは長い間、西欧文化とは根本的に無縁のものとなった。このために西欧では数世紀にわたって、多少とも空想的かつ勝手気ままな表意文字の分析が行われることになったのである。

 それだけに、中国語表記に関するライプニッツの鋭い洞察力は際立っていた。事実、ライプニッツは中国語の表記法の中に、言語の文法規則から書記上の組合わせ論が生じるという原理を見出すことができたのだった。デカルトとは反対意見だったライプニッツによれば、表記法に関して重要なことは思想の明白さや正確さではなく、その思想がどう表現されているかなのである。かかる思想表現は、「表記された言葉」という実体に依拠するものである。その際、表記された言葉それ自体よりも、語義体系の内部に各言葉を統合する秩序に拠るほうがその言葉の規定力は強くなる。一方ライプニッツは、各言語の性格によるだけでなく、表現者が採る見方の多様性によってもこの語義体系が変化すると述べている。したがって、言語表記に関するこのような考え方は、アルファベットの仕組みから想定される考え方とは正反対になる。そこで重要なのは発話における言語の明瞭性ではなく、各表記記号の物理的な存在感とそれらの複雑な価値体系なのである。言語表記の統語論はもはや単純に発話のそれを表すのではなく、表記法及びその媒体が直接生み出すものとなる。さらにそこにおいては、理性ないし直観を先験的に与えられたデカルト流の主体ではなく、深く歴史的存在であり続ける主体の存在が暗示されているのである。

 とは言え、哲学者ライプニッツは上記の分析の先に進むまでには至らなかった。すなわち、言語の機能的不均質性に基づいて表記言語を考察することは行わなかった。表意文字の体系においては、まさに表記記号がそうした機能的不均質性を帯びるのである。恐らくライプニッツは、自らの理論的世界が多様な性格を持っていたことを認めていたと思われる。しかし本人は、それを構造化する方式それ自身が不確定ないし不安定だとは考えられなかったのである。また記号についても、森羅万象の中で最も純粋で抽象的なもの、すなわち幾何学記号と算術記号こそが、ライプニッツにとってはモデル及び目的になっていたに違いない。


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