11月
22
2021

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Jules Brunet avec ses compagnons français et japonais qui combattirent à Hakodate.

ジュール・ブリュネと箱館で戦った日仏の仲間たち

「幕末」の名で知られる江戸時代後期、第2代駐日フランス大使であるレオン・ロッシュの活躍もあり、フランスは日本において特権的な地位にあった。フランスは横須賀に工廠を建設し、軍事使節団が陸軍を近代化した。隊長のジュール・シャノワーヌに率いられた若い砲兵隊の幹部のなかには、1857年にポリテクニーク(フランス国立理工科学校)を卒業したジュール・ブリュネがいた。使節団は1867年1月に来日したが、1868年3月に戊辰戦争が勃発し、天皇の復権を支持する軍隊と、一部フランス人らに訓練された徳川慶喜将軍の軍隊との間で内戦が起こり、訓練とノウハウの伝達は中断された。1868年3月の鳥羽伏見の戦いで敗れた最後の将軍は5月に江戸を去り、いわゆる帝国軍はそこに明治新政府を樹立した。榎本武揚率いる旧幕府艦隊と数人の幕臣らは敗北を認めず、ブリュネを含む数人の使節団員らの支援を受けて抵抗を試みた。榎本は蝦夷に共和国を設立し、総裁に選ばれた。ブリュネの支援と助言にもかかわらず、旧幕府軍は長くは抵抗できず、1869年6月に降伏した。ブリュネと9人の仲間は、横浜に戻ることに成功し、やがてフランスに戻った。.

【司会】ベルナール・トマン(日仏会館・フランス国立日本研究所)

【主催】日仏会館・フランス国立日本研究所

【協力】日仏歴史学会、大佛次郎記念館

* 日仏会館フランス国立日本研究所主催の催しは特に記載のない限り、一般公開・入場無料ですが、参加にはホームページからの申込みが必須となります。