11月
02
2012

1846、水彩画(ミシェル・バルト コレクション)

【プロフィール】
フランス国立科学研究センター(CNRS)研究主任。1998年から2010年までフランス国立社会科学高等研究院(EHESS)の日本研究所所長を務めた。主として沖縄県史および江戸時代終わりから明治時代初めにかけての日欧関係についての研究を行う。主著にRyûkyû Studies. Western Encounter (Curzon et Synapse, 10 vol., 2000-2002)、 Le Voyage au Japon (R. Laffont, 2001)がある。

【要旨】
19世紀の中頃、日本への前哨基地そして極東における軍事的・商業的拠点となり得る沖縄に対してフランスは大きな関心を抱いていた。1844年から1862年にかけて外国宣教会の8名の宣教師が沖縄に滞在して日本語を学んだ。フランス海軍は条約締結を狙って琉球王国に圧力をかけ、それに危機感を抱いた幕府は1846年以降、密かに鎖国政策を転ずることとなる。しかし、実際に条約が締結されたのは1855年のことであった。これらの前例と沖縄に滞在したフランス人の存在を受けて、薩摩藩主で琉球王国の宗主でもある島津斉彬は西洋と貿易関係を結ぶためにフランスに接近したが、その死によって計画は潰えた。1878年には琉球王国の併合に抵抗する人々がフランスに助けを求めたが空しかった。それから半世紀後、言語学者で人類学者のシャルル・アグノエルが沖縄で踏み込んだ調査を行い、沖縄の文化と古代日本の文化の相似性を明らかにした。

【主催】 日仏会館フランス事務所
【後援】 日本仏学史学会

* 日仏会館フランス国立日本研究所主催の催しは特に記載のない限り、一般公開・入場無料ですが、参加にはホームページからの申込みが必須となります。