Upiko Hnawang © Hamid Mokaddem 2016
J.M.G.ル・クレジオの言葉を借りるなら、オセアニアは見えない大陸ということになる。しかしより正確を期するなら、「見えない」島々、群島は、その歴史において見えるものでもある。トンガの作家、エペリ・ハウ・オファやその友人でアメリカの人類学者であるマーシャル・サーリンズが、歴史をもったオセアニアの島々についてそれぞれ語っているとおりだ。現地語とともにフランス語が話されているフランス語圏オセアニアの島々(ワリス・エ・フトゥナ、フランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ヴァヌアツ)は、現地の言語および支配的言語(フランス語、英語)と独特の文学的関係を保っている。ニューカレドニアの先住民運動の指導者ジャン=マリー・チバウはかつて、運動の政治的文化的要求に対して、「カナックの慣習」は「現代性」に反する退行的な伝統回帰なのではないか、という異論が呈されたときに、「終わりなき再定式化」という概念で応答しているが、この講演ではこの概念をふたたび取り上げながら、ニューカレドニア文学とフランス語との関係を分析する。エメ・セゼールが、政治において例外的な立て役者であると目したジャン=マリー・チバウは、ニューカレドニアの小さな民の価値を、その存続を賭けて示したのである。講演者アミド・モカデムは、様々なジャンル、様々な実践や口述のスタイルが現代の文学によってどのように再定式化されているかを論じる。引き続きそれを補う形で、星埜守之は、オセアニアのもっとも活動的な作家の一人、デウェ・ゴロデーの作品の分析と、その翻訳について語る予定である。
【ディスカッサント】星埜守之(東京大学) 【主催】日仏会館・フランス国立日本研究所 【後援】在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
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