身体の人類学 – 野村雅一, 2015年12月07日
身体は、社会・文化人類学で長い間取り上げられてこなかったが、生物学や医学をはじめ、社会学、歴史、哲学、心理学、民族学といった様々な分野の学問を介して90年代から飛躍的に主要な研究テーマとなる。様々な身体の変容(望んだものであろうが、そうでなかろうが)や、個人性の表現や否定といった身体における多少危険な作用が注目されている。それゆえ身体は現代社会の緊張のしるしと考えられる。同時に、われわれは現代社会における自己や物質性の消失への欲望の高まりを明らかにすることができた。
われわれの存在は、たしかにときに重くのしかかる。ある一時期でも、われわれは存在につながる生理的欲求から距離を置きたいとさえ思う。息を吹き返すために、自分でいることを休むのである。社会的なつながりの細分化は各個人を切り離し、自分自身や自由、自主性の喜び、もしくは反対に自分への不満や個人的な失敗に立ち返らせる。意味や価値のある出来事に適合し身を投じるための強い内的能力をもたない人や自信のない人は、自分自身を脆弱に感じるので、彼が属する共同体の代わりに自分自身を支えなければならないのである。そういった人はしばしば緊張や心配、疑いといった、人生を困難にしてしまう雰囲気のなかに浸っている。生活意欲はいつも予期したときに起こるものではない。多くの現代人は、ときに肩の荷をおろして圧力から解放されたいと思い、時間や状況の流れに沿って自分自身であり続けることへの絶え間ない努力や、常に自分自身や他者に対する期待を満たす存在であり続けることへの努力の中断を強く望んでいるのである。
【講師】ダヴィッド・ル・ブルトン(ストラスブール大学)
【ディスカッサント】野村雅一(国立民族学博物館)
【司会】ジャン=ミシェル・ビュテル(日仏会館・日本研究センター)
【主催】日仏会館フランス事務所
【助成】アンスティチュ・フランセ(パリ)、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本