18世紀から西洋では唐突で情熱的な愛を「空中の火」である雷に例えた。よりゆっくり温める炉のような人間的な火は、むしろ夫婦愛に結びつく。しかし、ガストン・バシュラールのもとで形式化されたこの対立は、その前の時代へはほとんど適応されない。それ以前は滅多に雷が愛に結びつくことはなかったし、結び付けられたとしても、意味は異なっていた。ほかのタイプの対立は、より複雑な隠喩に富んだネットワークを作っていた(人間/神;世俗/天上;自然/人工など)。1741年に、一目惚れ(coup de foudre、雷の一撃)は感覚論のもとではじめて論じられたが、のちに重きをなしたロマン主義的隠喩とは根本的にかけ離れていた。本講演会では、一目惚れのイメージの形成について論じたい。
プロフィール
ジャン=クロード・ボローニュ 1956年リエージュ生まれ。文献学者、中世学者、小説家(La Faute des femmes (1989年), Le dit des béguines (1993年), Le frère à la bague (1998年)など。)、フランス語史研究家である。また、西洋における愛の変遷についての歴史家でもあり、このテーマについて多くの著書がある:Histoire de la pudeur (1986年、訳書『羞恥の歴史:人はなぜ性器を隠すか』1994年), Histoire du mariage en Occident (1995年), Histoire du sentiment amoureux (1998年), Histoire du célibat et des célibataires (2004年), Histoire de la conquête amoureuse (2007年). 現在、ICARTにて中世イコノグラフィーを教える。
木村朗子 津田塾大学教授。中世日本文学を専門とし、中世後期の社会における女性の立場について研究する。英語で書かれた A Brief History of Sexuality in Premodern Japan (2010)など、多くの著書がある。
貧困は厄介な問題である。なぜなら、それは全体的に豊かで民主的な社会において受け入れられなくはないが、少なくとも我慢しがたい不平等の表れだからである。近代社会が避けられると信じていた事態を体現する貧しい人々は、低い社会的地位しかもてない。しかし、貧困の基本形態は社会によってまちまちである。著書les formes élémentaires de la pauvreté(翻訳『貧困の基本形態-社会的紐帯の社会学』、2016年)の日本語訳出版を記念した本講演会で、セルジュ・ポーガム氏は、国際的比較研究の主な成果を紹介し、日本の特異性について検討する。
セルジュ・ポーガム氏は、フランス国立科学研究センターおよびフランス国立高等社会研究院の研究主任である。La disqualification sociale (1991), Le Salarié de la précarité (2000), Les formes élémentaires de la pauvreté (2005), Le lien social (2008)など、その著作の多くはフランス国内外における社会的・政治的議論に際して参照すべき書物となっている。また、モーリス・アルブヴァクス・センターにおける社会の不平等についての研究チームERISの責任者でもある。現在の研究プログラムでは、現代社会における社会関係の基盤を研究し、さまざまな社会的帰属の形態がいかにして形成されるかを明らかにしている。
Comment le jeune Valéry symboliste fut-il résolument moderne avant d’entrer dans une période de désenchantement ? Abolissant les exigences de rigueur de la fin du XIXe siècle, la littérature des décennies suivantes lui paraît trop souvent céder à la facilité et donner lieu à des œuvres que le lecteur parcourt comme pour se divertir. Alors que se multiplient les réserves à l'égard du moderne, se dessine un éloge du classique qui, sous bien des aspects, se confond avec le symbolisme défunt : un certain art d'écrire est célébré et, symétriquement, un certain art de lire, mais qui désormais sont perdus. Après avoir été pleinement de son temps, le Valéry de la maturité se sent ainsi en décalage. Il rejette une société trop futile où il n'est plus possible de connaître le loisir fécond du plaisir littéraire grâce auquel chacun pouvait véritablement cultiver son esprit et, par conséquent, le renforcer..