Maison Franco-japonaise: 日仏会館 日仏会館・フランス国立日本研究所(Umifre 19 フランス外務省・国立科学研究センター)

言語:JA / FR


日仏会館フランス事務所 / イベント・カレンダー

2009年9月のイベント

Political constraints, legal devices and Japan's defence doctrine

[ 研究セミナー ]

使用言語:英語 (通訳なし)
日時: 2009年09月10日(木) 18:00
場所: 601会議室
講演者: ギブール・ドゥラモット (パリ政治学院アジア・センター、2008年度渋沢・クローデル賞フランス側受賞者)
  • Summary
    Japan’s defence doctrine appears as a compromise between law and politics. Political constraints from the 1955 system, governmental coalitions and the "divided Diet" since 2007 led governments to adopt an incremental approach in framing the doctrine, through the adoption of principles interpreting the constitutional ban on the use of force. The seminar will shed light on this process.

    La doctrine de défense japonaise est le fruit d’un compromis entre droit et politique. Les contraintes politiques imprimées par le « système de 1955 » puis par les coalitions successives, enfin, depuis juillet 2007, par la cohabitation (« Diète divisée ») ont conduit les gouvernements à adopter, dans la formulation de cette doctrine, une approche téléologique marquée par l’énoncé de principes interprétant l’interdiction constitutionnelle. C’est ce processus que se propose de présenter cette intervention.

    日本の防衛政策は憲法と政治間の妥協の結果です。<1955年体制>、次には相次ぐ連立政権、そして最近では2007年7月より生じた「ねじれ国会」といった政治上の制約の影響で、政府は防衛政策において、憲法上の禁止事項の解釈を段階的に変化させる基本表明が特徴の目的論的アプローチをとりました。この講演は、その段階的なプロセスの独創性を明らかにしています。

  • Profile
    Dr. Delamotte is a Japan specialist from Asia Centre, based at the Political Institute of Paris. She teaches International relations and Japanese politics at the National Institute for Oriental Languages and Civilizations (Inalco) and is currently a Visiting Fellow at Temple University Japan’s ICJS. A graduate of the Universities of Paris II (France) and of Oxford (UK), she studied International Relations at the Institute of Political Studies of Paris (Sciences-po), whilst completing a Masters in Japanese at Inalco. In 2007, she completed a PhD on Japan’s defense policy at the Paris-based School of Social Sciences (EHESS), with the highest honors. In 2008, she was awarded the Shibusawa Claudel prize.

関連データ:

» 2009-09-10_Delamotte_english.pdf (研究セミナー開催案内[PDF])

* イベントは、特に記載のない限り、すべて無料となっております。参加をご希望の方はお申し込みをお願いいたします。

明治時代の日本における西洋的な概念としての男女の愛情をめぐる論争(仮題)

[ 一般公開講演会 ]

使用言語:フランス語 (通訳付き)
日時: 2009年09月17日(木) 18:00
場所: 601会議室
講演者: ジャン=ミッシェル・ビュテル (フランス国立東洋語・東洋文化研究院准教授)
  • 講師プロフィール:
    パリ第10大学ナンテールで文化人類学を、フランス国立東洋語・東洋文化研究院で日本語を修めた後、7年ほど日本に滞在して神奈川大学で民族学を学ぶ。現在はフランス国立東洋語・東洋文化研究院准教授として日本語および日本の民族学の講座を担当している。研究テーマは、近現代の日本(19〜20世紀)における配偶者の関係。博士論文では「縁結びの神」を対象にしたフィールドワークをもとに、西洋的なディスクールの影響を受けることが比較的少ない恋愛観に着目した。現在は、19世紀末における、そのような恋愛観とキリスト教的理想の邂逅について研究を行っている。2000年から2年間は日仏会館招聘研究員を務めた。

  • 講演要旨:
    19世紀最後の30年ほどのあいだ、日本は自らの新生をかけた運動に大きく揺れたが、思想家や政治家は日本女性の教育を近代国家建設の条件のひとつと定めた。それは、被服従者たる弱者と考えられた女性を「良妻賢母」に仕立てることであった。強くするべき肉体、啓蒙するべき精神、身分を定めてやるべき配偶者と考えられた女性自身の内部でまさにこのような作業がなされたのである。しかし、女性から男女間の関係に論点を転換する理論家も存在した。女性の弱さの責任を男性側に求めることもためらわず、それらの理論家は真に近代的な配偶者関係の型を見出そうとしたのである。それは、翻訳することが非常に困難な新しい西洋の概念 « love »(愛)の上に築かれるべき関係であった。本講演では、19世紀末の日本においてどのような論争を経て、愛の「西洋的」定義が理解され、翻訳されたのかをたどる。

* イベントは、特に記載のない限り、すべて無料となっております。参加をご希望の方はお申し込みをお願いいたします。

山の水から風景へ

[ 一般公開講演会 ]

使用言語:フランス語 (同時通訳付き)
日時: 2009年09月24日(木) 18:00
場所: 601会議室
講演者: オギュスタン・ベルク (フランス国立社会科学高等研究院、第20回福岡アジア文化賞大賞受賞者)

  • 講師プロフィール:
    フランス国立社会科学高等研究院教授。中国語を修めた地理学者であり、何十年にもわたって人間社会と環境の関係について思索を続けている。その研究と思想は2000年に出版された« Ecoumène - introduction à l’étude des milieux humains » (Paris, Belin, réédité en 2009 en Belin Poche、「風土学序説−文化をふたたび自然に、自然をふたたび文化に」、筑摩書房、2002年)にまとめられている。主要な研究フィールドは1969年から17年以上を過ごした日本である。日本についての著作は多く、特に1986年には Le Sauvage et l'artifice. Les Japonais devant la nature (Paris, Gallimard/「風土の日本−自然と文化の通態」、ちくま学芸文庫、1992年)を出版。本人も言明しているように和辻哲郎の思想から大きな影響を受けているが、古代ギリシャ思想から中国の古典詩、現代作家に及ぶ幅広い読書によってその思想はさらに研ぎ澄まされている。個人の研究にとどまらず、国際的な研究プログラムも多数主催し、最近では保持不可能な住環境をテーマにした研究プログラムが2009年9月にセリジー・ラ・サルで開かれるシンポジウム « Donner lieu au monde : la poétique de l’habiter »で完結する予定である。
    今までの業績により第20回福岡アジア文化賞大賞を受賞。授賞式は2009年9月17日に執り行われる。20年前に創設され、アジア文化の保護と普及に多大な貢献をした個人あるいは団体に贈られるこの栄誉ある賞を、アジア人以外が受賞するのは初めてのことである。

  • 講演要旨:
    4世紀の中国南部において、世界で初めて「風景」の意味を持つようになったのは「shanshui 山水」という言葉であったが、それは文字通り「山と水」である。この言葉は、その後何世紀にもわたって美的な含意もなく「山の水」という意味として、奔流や急流の猛威を防ぐため治水に腐心した水力技師たちによって主に使われていた。山の水は人間に敵対する大自然が象徴的に宿るところでもあった。今日の我々にとって風景は安らぎや時として心の高揚を誘うものであるが、そうなるまでにはいかなる変遷があったのだろうか。

  • 講演テクスト:

関連データ:

» 2009-09-24_ConférenceABerque.pdf (講演会開催案内[PDF])

* イベントは、特に記載のない限り、すべて無料となっております。参加をご希望の方はお申し込みをお願いいたします。

日本経済と社会に関するランチセミナー

Licensing Strategy of Japanese Firms

[ LS:招待者限定研究セミナー ]

使用言語:英語 (通訳なし)
日時: 2009年09月25日(金) 12:30 - 14:00
場所: 601会議室

  • 講演:
    • 高橋伸夫(東京大学)
  • 討論:
    • レクレル イブリン(UMIFRE 19 CNRS MAEE 日仏会館研究員)
  • 協力:在日フランス商工会議所、在日フランス大使館経済部
  • 申し込み・問い合わせ:mikasa@ [@の後に mfj.gr.jp を補ってください]

* イベントは、特に記載のない限り、すべて無料となっております。参加をご希望の方はお申し込みをお願いいたします。

経済通貨統合:ヨーロッパのアイデンティティーにとっての賭け

[ 一般公開講演会 ]

使用言語:フランス語 (通訳付き)
日時: 2009年09月25日(金) 18:00
場所: 601会議室
講演者: ジェラール・ボシュア (セルジー・ポントワーズ大学)
  • 協力:帝京大学
  • 講演要旨:
    欧州の通貨統合の歴史はそもそも国際的な通貨システムの失敗と密接に関係している。しかし、欧州連邦の構想が拒否されたのにもかかわらず、欧州連合はなぜ単一通貨を採用したのか疑問は残る。事実、国家も人民も単一通貨を望まなかった。銀行と実業界の支持を背景に、政治リーダーたちが導入したのだ。欧州通貨制度と経済通貨統合の導入は、ヨーロッパ共同体が「レートと物価の安定にともなう制約を尊重することで成り立つ」政策によって結束したグループとなったことを意味していた。もっとも、単一通貨を単にリベラリズムの勝利ととらえることはできない。そこに至るまでには、政治連合とも異なるヨーロッパの統一体とアイデンティティーの形成に向けた長い努力があるのだ。しかし、ヨーロッパの人々が望んだように単一通貨は統一のシンボルとはならなかった。
    単一通貨について共同で運営されるヨーロッパの機関は誕生しなかったが、それは各国の通貨および政治機構に歴然とした格差があったからである。格差と民主主義的空白のために、ヨーロッパ市民の中には、ユーロをあからさまな不信感まではいかなくとも無関心な態度で迎える人もいた。単一通貨だけでは必ずしもヨーロッパのアイデンティティーを形成することはできないのだ。

  • 講師プロフィール:
    歴史高等教育教授資格(アグレガシオン)取得、パリ第1大学で博士号を取得。現在セルジー・ポントワーズ大学教授として特に欧州建設の歴史、欧州連合の挑戦および欧州建設とフランスの関係についての講座を担当。20年近くにわたり、上記の問題について精力的に著作・論文を発表するとともに研究を続けている。今回の講演との関連では、Les fondateurs de l’Europe unie が2001年に再版されているほか、1994年には Identité et conscience européennes au XXème siècle に協力している。

  • 講演テクスト:

* イベントは、特に記載のない限り、すべて無料となっております。参加をご希望の方はお申し込みをお願いいたします。

フランス共和国は変則的か

[ 一般公開講演会 ]

使用言語:フランス語 (通訳付き)
日時: 2009年09月28日(月) 18:00
場所: 601会議室
講演者: ピエール・セルナ (フランス革命史研究所所長、パリ第1大学教授)
  • 講演要旨:
    このような演題を掲げたのは言葉の上での挑発ではない。そうすることは容易だが、批判的革命史が登場し200年にわたって遍在した後となっては、表層的な見解に行き着くだけだろう。 それどころか、フランス革命史に対する新たな取り組みは、第五共和制下でもなお有効なフランス的モデルの母体を検討することの正当性を明らかにしている。現行の政体を、普通選挙によって是認された主権在民を保証するものと定義すれば、確かにフランスは民主主義的な共和国である。しかし、たとえばヨーロッパの民主主義的君主制と現在のフランス共和国との根本的な違いはどこにあるのだろうか。
    この問いに答えるために革命史家に可能なのは原因を検討することだが、それは正当性を疑問に付すためではなく、200年の時を経たこの正当性の合法的な解釈を提示することの困難さについて検討するためである。
    革命史家にとって、フランス共和国憲法の第1条に述べられているように共和国が民主的、社会的、不可分にして非宗教的であるとはどういうことなのか。ひどく陳腐な言葉にすぎないのか、それとも現在の状況および歴史と照らし会わせれば、危険性をはらんでいるのだろうか。
    本講演は1792年から1799年まで続いた第一共和制の歴史を通観するものではないし、それは不可能でもある。よく知られてはいるが再検討の余地があるいくつかの側面を取り上げて、1795年にサド侯爵が指摘したように、フランス人が共和主義者となるには一層の努力が必要であったことを示したい。
    それは共和国の時間的広がりを問うことでもある。共和国はどのように誕生し、消滅するのか。さらに、市民権という議論の多い問題を通して見えてくる合法性と正当性のあいだの対立(女性と非白人)、行政権と立法権のあいだで揺れる共和制統治の矛盾、非宗教的な共和国および恐怖政治の文脈で重要な神無き政府をめぐる困難な問題についても検討する必要がある。さらには、200年のあいだ共和国の不可視の点として存在した「極中道派 extrême centre」をめぐり、フランスにおけるエリート層の問題に満ちた長い歴史についても言及する。

  • 講師プロフィール:
    1937年にジョルジュ・ルフェーブルによって創設されたフランス革命史研究所所長、パリ第1大学教授(フランス革命史講座)。アンシャン・レジーム期のエリート、特に18世紀における決闘に関する調査をもとに、貴族の身分降格の問題について研究を行った(Pierre Serna, H. Drévillon et P Brioist, Croiser le fer, culture et violence de l’épée dans la France moderne, Champ Vallon, 2002, réed. 2007)。
    その過程でピエール=アントワーヌ・アントネルの伝記に興味を抱く(Antonelle, aristocrate révolutionnaire, 1747-1817, ed. félin 1997)。アントネルはアルルの初代市長であり、立法議会議員、革命裁判所の陪審員、バブーフに近い陰謀家、そして「Journal des Hommes Libres 紙面に代表される民主制」という概念の提唱者である。
    最近の著作には La république des Girouette, une anomalie politique la France de l’extrême centre, Champ Vallon, 2005がある。
    現在は、18世紀末の諸革命の比較史に関する研究を行うとともに、18世紀末における動物に関する政治史の研究に着手している。

  • 講演テクスト:

* イベントは、特に記載のない限り、すべて無料となっております。参加をご希望の方はお申し込みをお願いいたします。

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